発見@トラウマさんの「苦しみ」に寄り添う

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vol.4『トラウマさんの「苦しみ」に寄り添う』

臨床の中で、あるいは普段の日々の中で発見したことをシェアするコラム。水曜日に更新していきます!

 

こんにちは!大嶋信頼先生開発「心に聞く」&「FAP療法トラウマ治療」専門のカウンセリングオフィス『リベレスタ』代表・原口実紅です。 

 

苦しみの向こう側にあるもの

いや~本当にトラウマさんって大変だ!と思うんです。

まず記憶が抜けるから自分がトラウマさんだと気づけない。

それから、気づいた後も、目に見える障害などと違って外見上はわからないから、周りの人の理解も得難い。

 

催眠療法では、語り聞かせるスクリプトは「心地いい言葉だけ!」と言われているそうです。例えば「苦しい」とか「冷たい」とか「浅い」という言葉は使わないようにしましょう、と。

でも、それを聞くと私はスクリプトを作るときに「あっ、いま『暗さ』と言ってしまった!『暗さ』は心地よくない?でも暗さが心地いい時もある気がするけど?例えば『夜明け前の暗さ』は、とてもいいメタファーのような気がするけどこの場合は、これは使ってもいい言葉なのか?」とどんどん意識的になってスクリプトが作れなくなってしまうんです。

講師の人が言っていた「嫉妬でついネガティブな言葉を入れてしまうんです」という言葉が、私にも当てはまるのかな?とか、私はいま何かに嫉妬しているのかな?と混乱したり。

 

けれど私の心は「そのような言葉を選ぼうとする判断自体が、無意識的ではない」と教えてくれました。

無意識は「苦しみ」という言葉を聞いたときの、意識の反作用(意識は常に反対のものを想定する。変わる、と言われれば、変わらない、と反作用を起こす)をも利用して「その向こう側」にあるものと統合する、そういう大きなスケールを持っているんだよ。と私の心はいうのです。

どれだけ恐ろしい言葉を使っても、あなたの心の中にある『無意識の力』が乗ったスクリプトであれば、必ず統合され美しい方向に導いてくれる。安心して自由な言葉を作ってスクリプトを作りなさい、と教えてくれたのです。

 

心に聞くを人にお伝えするときに「正しい、間違ってるというのは意識的判断で、心地いいか、心地よくないか、が無意識的判断だ」とずっとお伝えしてきたのですが、それは違っていたのです。

どんなものでも、二項対立の形をとっているものは、意識的な働きを持っているのです。

でも、それは悪いことではなくて、意識はそういうものだし、確かに無意識を使っていくと自分の周りに「不快なもの」がどんどん減っていって「心地いいもの」に囲まれた世界に変わるので、そのように感じることも間違いではないのでしょうね。

どんな時でも、心は「意識的判断は排除するべきものではない」、「苦しみは否定されるべきものではない」と教えてくれるのです。

 

私はこれまで、生きることが、めちゃくちゃ苦しかったんです。

生きる自信を持てなくて心の中も現実も辛いことばかりで「なぜ生き続けないといけないのか、地獄ではないのか」と思っていたのです。

トラウマによる症状は本当に「治るのかも」と気づくまでが長いんですよね。大嶋先生の本を読んで「これ、私かも!」と思えたことが、本当に希望ですし、いまもそのような方は増え続けて行くんでしょうね。

そして「治るのかも」と思ってからも、もちろんすぐに楽になれるようなものではなくて、時間をかけて、安心して回復して行く期間が人生に必要になるんです。

これも他の人にはわからないんですよね。他の人は「温泉でも行って、2、3日ゆっくりすれば、また元気になるよ!」と思っているんです。(そして、今となってはその人たちが「本気で」それを言っていたとわかります。本当に神経系のレジリエンスが戻ると、そんなくらいで回復する!)

でも、ものすごく苦しかったけどこの苦しみは、否定されるものじゃないんです。

 

クライアントさんはみなさん「普通じゃない」わけですが。

あるクライアントさんが心に『もし私が普通だったら、今どうなってますか?』と尋ねると「死んでた!」と答えてくれたそうです。やっぱり普通じゃなくて、並外れて有能なんです。

ここで私が『もしトラウマを受けない人生だったらどうなっていたのか?』と尋ねてみると「いまのあなたはいない。いまのあなたが、いい。」と教えてくれるのです。

『そしたらもっと苦しくない人生だったんじゃないの?』と尋ねると「あなたはそれを望んでいないでしょ!」と言われてしまうのです。

「苦しいのは『ダメだ』という意識的判断で、苦しくない人生の『ほうがいい』と思わされているけれど、あなたはそれを望んでないでしょ!あなたは意識的判断を捨てて行く人生を選んだでしょ!」と教えてくれるのです。

 

カウンセリングは確かにクライアントに回復をもたらすために行います。

私は本当に「楽になってほしいな~」「苦しみから解放されて行くといいな~」と思いながら、やっています。けれども、それはクライアントの苦しみを否定することではないんです。

むしろ、私は苦しみを肯定してしまおうと思っています。

息をしているだけで精一杯な時があるのを私は知っているから、その時は、元気になってほしい、とは思わないんです。息をしてくれているだけで、有難や、尊や、と言って、拝みます。

めちゃくちゃ苦しいんですよね。

それを、その向こう側と統合したいんですよね。

その態度が、無意識的なんだ、と最近は思うようになりました。

 

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