発見@誰も悪くない!〜罪についての一考察〜

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今週の発見!colum vol.1『誰も悪くない!〜罪についての一考察〜』
臨床の中で、あるいは普段の日々の中で発見したことをシェアするコラム。水曜日に更新していきます。

 

誰かが悪いなんてことはあるのか

子供の頃、よく親に「あんたはすぐ人のせいにして!自分は悪くないって言うの!」と言われていましたけど、あれってすごい暗示だなぁと、今更思うんですよね。

以前に研修で、リベレスタの新しいカウンセラー、舌間先生に私のカウンセリングをしてもらった時に、私は「車の運転が怖い」という相談をさせてもらったんです。

でも、どうやら話していると、運転が怖いんじゃなくて「人に危害を加えてしまう、という恐怖」があるということが見えてきたんですね。

そして、色々な要因はあれど、自分では全く無関係だと思っていた年齢の、あるショックな出来事が、そのことに関係しているように思えてきたんです。

それは、私自身が人に危害を加えてしまった、という出来事なのですが、運転とは全く関係がないと思ったその出来事が、私の中に「私は人に危害を加える罪人だ」という感覚になって、残っていたようなのです。

色々な治療をしていただく中で、最終的に残ったのは「私は悪くなかったんじゃん!」という衝撃的な気づきでした。

過去を変える、という治療をしていただいたのですが(参考:FAPカウンセリング | リベレスタ)イメージの中で、青ざめてガクガクと震えていた私が、急に我に返って「いや、私悪くなかったんじゃん!」と叫んだので、とても面白かったんです。

確かに、冷静に振り返ってみれば「私は悪くなかったのかも」ということが感じられますが、今の今まで、そんな可能性は1ミリも考えられませんでした。

 

罪人はいないのかもしれない

世の中で「罪」とされていることをしてしまうことって、実はその人の責任じゃないのかもしれない。ほんとうは、「罪人」というものはいないのではないか、と思うのです。そこには必ず事情があるのだから。

誰かのせい、私のせい、ということが成立し得ない。ブッダは「因果関係は複雑で、一般人には『わからない』もの」とおっしゃったそうな。

とまあ、このようなことを書こうとすると頭の中でものすごい裁きが渦巻きます。

「アンタの例から、そんな拡大解釈は許されない!」「あなたが自分で責任逃れをしたいだけでしょ!」「自分や自分の大切な人を傷つけられても同じことが言えるのか!」…という感じに、裁きのオンパレードが頭の中に鳴っています。

全身が痛い!そのくらい「罪」というトピックは人間にとって大切なワードなのかも。

 

罪は「作り出されたもの」

じゃあ罪って何かっていうと、さっきの因果でいけば実体はないんですよね。

ただそこに複雑な相互作用が起きて、ある変化が起きただけ。

その変化に対して「快」と「不快」が生まれる。ここまでは生物としてみたら自然なことです。(快と不快は、肉体が感知する)

そして、生物は、不快からは離れる、ということをする。

しかし、人間は「想像する」という力を「不快」に対して使ってしまうんです。

「相手がこうなったら不快だろうな」とか「不快なことを避けるには何をすればいいかな」とか想像してしまいます。そうすると、「不快」に対して架空の「コントロール感」が出てきます。

実際は、変化に対して「快」「不快」の反応を起こすだけで、変化自体は、コントロールできないのですが。

そしてその結果「不快を根絶させることができる」という幻想が生まれて「不快=悪」となり「不快をもたらすものに罪がある!」「それを罰して根絶しよう!」ということになるんです。

もともとは変化と、センサーとしての「快」「不快」のみの、シンプルな世界だったのですよね。罪はそこに作り出された、幻想の花なんです。

 

罪悪感から解放される簡単な方法

全ての人が「私は何も悪くなかった!」と気づいてしまえば幻想も終わるのですが、なかなかそうもいかないので、せめて自分の罪悪感だけは少なくしていきたいものですよね。

おすすめなのは「悪いことしちゃったなぁ…」という気持ちになった時にできる簡単な方法。

それは『無辜の子(むこのこ)』という呪文。あるクライアントさんが教えてくださった私も大好きな呪文です。

 

何かを反省しそうになったり、何かを償いたい気分になった時には、ぜひたくさん唱えてみてください。頭の中が緩んで、本当に解放されていきますよ!